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福岡高等裁判所 昭和48年(ネ)223号 判決

控訴人(附帯被控訴人)

逆瀬川義信

右訴訟代理人

清川明

外一名

被控訴人(附帯控訴人)

鮫島和郎

右訴訟代理人

小西武夫

主文

原判決中控訴人(附帯被控訴人)敗訴部分を取り消す。

被控訴人(附帯控訴人)の請求および附帯控訴を棄却する。

訴訟費用は、一、二審とも被控訴人(附帯控訴人)の負担とする。

事実

一、控訴人(附帯被控訴人、以下たんに控訴人という)は主文と同旨の判決を求め、被控訴人(附帯控訴人、以下たんに被控訴人という)は、控訴棄却、控訴費用控訴人負担の判決を求め、附帯控訴として、「原判決を次のとおり変更する。控訴人は被控訴人に対し金五〇万円およびこれに対する昭和四五年三月二五日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、一、二審とも控訴人の負担とする。」との判決および金銭支払部分につき仮執行の宣言を求めた。

二、当事者双方の事実上の主張および証拠関係は、次に付加するほかは原判決事実関係摘示(ただし、原判決書五枚目裏一一、一二行目を「3乙一号証の成立を認め、乙二号証の原本の存在、成立ともに認める。」と改める。)のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人の主張)

1  本件落書コーナーは教育目的で設けられたものではない。すなわち、情緒的に不安定な心身の発達段階にある中学三年に落書をさせることが、被控訴人主張の教育目的を達成するため有効かつ妥当な方法でないことは明らかであり(現に教室に展示するのに不相当な落書がなされた)、中学三年生に対する教育方法としては一般に行なわれていないものであること、このような特別な教育方法を実施するにあたつて、被控訴人は事前に校長や職員会議、学年会等ではかつたり、了解を求めたりしておらず、事後においても、控訴人(校長)や野中教頭に対しなんらの弁明もせず、落書コーナーの返還も求めていないこと、また落書コーナーを設置するに際し、生徒になんら適切な事前指導をしていないこと、以上のような事実からして、教育目的のために落書コーナーを設けたとの被控訴人の主張はあとからつけた理由としか考えられない。

むしろ、右落書コーナーが昭和四四年七月四日の佐世保市教育委員会の視察を前にして突如行なわれたことなどからすれば右教育委員会の視察に際し、愛宕中学の評価をおとしめるか、少くとも校長である控訴人に対するいやがらせの意図があつたものというべきである。

2  被控訴人に対し違法行為としての名誉の侵害はなかつた。すなわち、昭和四四年九月二〇日の原田、浜田両議員の発言は市議会における一般質問としてなされたものであり、議員に保障された発言の自由の範囲内でなされたものである。また議会は公開されているから、新聞の報道も報道の自由の範囲内でなされたものである。また、控訴人は市の公務員であるから、刑法二三〇条の二の趣旨からみても、これを当然受忍すべき立場にあつたものといわなければならない。したがつて、右の事実から違法行為としての名誉の侵害があつたとはいえない。

3  控訴人の行為と市議会や新聞記事で取りあげられた内容との間に因果関係がない。すなわち、控訴人が原田議員に本件落書コーナーを見せた際に、同人はすでに相当程度内容を知つていたものであり、控訴人から事情聴取をしなかつた浜田議員の質問内容が原田議員のそれとほぼ同様であつたことからしても、右両議員の発言は控訴人からの事情聴取のみではなく、それぞれ独自に他から得た情報に基づいてなされたものと考えられる。また教育長の発言も控訴人からの報告のみでなく、他の調査による情報に基づくことも当然に考えられ、しかも議会におけるこれらの発言はそれぞれ発言者独自の判断で行われたもので、その発言内容については、なんら控訴人の関与できる筋合ではない。これを取材し、報道した新聞記事についても同様である。控訴人の行為とこれらの発言や新聞記事の内容との間に因果関係はない。

4  控訴人に注意義務の懈怠はない。すなわち、本件はもともと被控訴人の方から事情を弁明すべきものであり、控訴人の方から弁明の機会を与えなければならない義務はない。

仮りにそのような義務があるとしても、控訴人は事件の翌日野中教頭をして被控訴人に対する事情聴取および注意をさせており、十分弁明の機会を与えており、なんら右義務の懈怠はない。その際、被控訴人の方でなんら明確な弁明、主張をしなかつたものである。

5  本件結果の発生は被控訴人の行為によるものである。すなわち、本件落書コーナーは教育方法として一般に行われているものではなく、愛宕中学においてもかつて行われたことのない特殊の方法であるにもかかわらず、校長、教頭、学年主任はもとより、職員会議や学年会にもはからず、しかも時期を選ばず突如として行つたことは軽率のそしりを免れない。そして、被控訴人が生徒に対し事前に相当の指導をしなかつたため、被控訴人が政治的に過激もしくは破壊的な落書を書くようなんらかの方法で示唆したとみられてもやむをえない事態になつたものであり、しかも被控訴人がなんら弁明しなかつたため、自ら名誉の侵害を惹起する原因を作つたものであつて、その責任はすべて被控訴人が負うべきものである。

6  仮りに以上の主張が理由がないとしても、控訴人は国家賠償法一条により賠償責任はない。すなわち、被控訴人の主張する控訴人の行為はすべて佐世保市立中学校の校長としての地位に基づく職務上ないしそれに付随する行為であつて、国家賠償法一条一項の「公権力の行使」にあたる。したがつて国家賠償法一条により損害賠償責任は公共団体にあり、公務員個人である控訴人にはない。(控訴人の主張に対する被控訴人の答弁および主張)

控訴人の以上の主張はいずれも争う。

控訴人の本件一連の行為は、校長としての立場でなされたものではなく、一個人としての行為であり、公権力の行使にあたらない。仮りに右行為が公権力の行使であるとしても、控訴人に悪意または重大な過失がある本件においては、行為者たる控訴人に対しても損害賠償を請求することが許さるべきものである。

(証拠関係)〈略〉

理由

一控訴人は、被控訴人主張の控訴人の行為は校長としての公権力の行使にあたるから、国家賠償法により、これに基づく損害賠償責任は公共団体にあり、控訴人個人にはないと主張するので判断する。

当裁判所も、本件の事実関係は、原審と同様に認定するものであるから、その記載をここに引用する(原判決理由の一、二、三、五、六、七項)。右認定に反する当審における証人針淵忠男の証言部分および控訴本人の供述部分は当裁判所の信用しないところである。右認定の事実関係の下において、控訴人のなした本件行為、すなわち、控訴人が(1)本件落書コーナーを無断ではぎとつたこと、(2)市教育委員会に報告したこと、(3)市会議員に落書コーナーを見せたことは、国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使に当る公務員の職務行為」に該当すると解するを相当とする(学校教育法四〇条、二八条三項、佐世保市立小中学校管理規則―乙第二号証)。ところで、当裁判所も、公務員の違法行為により、損害を受けた被害者が右法条により国又は地方公共団体に対し損害賠償責任を追及できる場合は、当該公務員は被害者に対し直接損害賠償責任を負うことはないと解する。この点に関し、被控訴人は、公務員に故意または重大な過失がある場合には、公務員個人にも賠償責任があると主張し、かかる見解もあるが、当該裁判所のとらないところである。

二したがつて、控訴人に対して右損害賠償を求める本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく失当として棄却を免れない。よつて原判決中、被控訴人の請求を一部認容した部分は失当であり、本件控訴は理由があるから、原判決のうち右の部分を取り消し、被控訴人の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(中池利男 鍬守正一 綱脇和久)

〈参考・原審判決理由抄〉

(長崎地裁佐世保支部昭和四五年(ワ)第七七号、慰藉料請求事件、同四八年三月一九日判決)

理由

一 請求原因1の事実および請求原因3の事実中被告が原告主張の日時ころ校内巡視の途中原告主張の場所において本件落書コーナーをはぎ取つた事実は当事者間に争いがない。

二 〈証拠〉によると次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

1 原告は、日頃生徒は自分の思つていることをはつきり言える人間であつて欲しいと思つていたところ、原告の担任する学級の生徒は一般におとなしく学級活動の時間など学級内に起つている種々の問題を話し合いより良い学級を作ろうという意欲に乏しく、また授業時間中も発言が少ないなど原告の期待にそわない状態であつたので右の学級活動の時間などを盛り上げるための一方法として落書コーナーと題する模造紙を学級内に張り出し、生徒の思つていることを何でも書かせこれを学級活動における話し合いの素材にしようと考えた。

2 そこで原告は昭和四四年六月二五日まず第一枚目の模造紙に落書コーナーと題を付けて教室内に張り出し、生徒に対しては何でも書いて良い旨告げて翌朝右模造紙を見たところ、内容はすべて漫画などのなぐり書きであつて原告の期待に反したため、即座にこれを本件落書コーナーと取り替え、生徒に対しては、今度はもつと意味のあるものを書くように注意した。そして原告が同日午前中の三回目の授業時間(三校時、以下同様の趣旨。)に学級に授業のため入つて本件落書コーナーを見たところ、「鮫島先生にお嫁さん募集。」「校長の口にセキスイのセロハンテープをどうぞ。」「通知表の点数制をなくせ。」という文言が書いてあつたが、原告としては、右は学級活動の時間に取り上げる予定のものであつたから、生徒に対して右落書について特に批評はしなかつた。

3 本件落書コーナーはその日の昼休みにほとんど全紙面にわたつて書き尽くされた。右落書の内容は前記の外には「民主政治やめろ。」「日米安保をとりやめろ。」「ベトナム戦争ハンタイ、ハンタイ……。」「内閣政党をなくせ。」などの政治的スローガンを記したもの、「佐藤(時の首相)を消せ。」「国会議じ堂をぶちこわせ。」「第三次世界大戦おつぱじめろ。」「ベトナム戦争大カンゲイ。」など暴力、戦争を礼賛するもの、「校長五島行き、久野先生とかわつてこい。」「校長出ていけ。」など被告個人を攻撃する内容のもの、「運動会をなくせ。」「休みをふやせ。」「早めしにせろ。」「テストをなくせ。」「先生がそうじせろ。」など学校生活における生徒の単純な欲求不満を表現したもの、「全中連結成。」「学校に教師を入れるな。」「学校はいじよ。」などいわゆる学生運動に関連するもの、「ぢーですか、オロナインおつけやす。」「かまぼこはたくさんたべましよう。」など単なるいたずら書きにすぎないもの等様々であつた。

三 前示当事者間に争いのない事実、〈証拠〉によると、被告は同日午後五校時、同年七月初めに市教委の視察が予定されていたためこれに備え、教頭の野中藤次とともに学校内の備品等を点検する目的で学内を巡視する途中、当時秋吉良子教諭の国語の授業中であつた原告担任の三年二組の教室に入つて本件落書コーナーを発見し、教室に展示しておくことが好ましくないとの判断のもとに、即座にこれをはぎ取つて校長室へ持ち帰つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

四 ところで、教諭が生徒を教育する目的で教室内に展示した物を、第三者が当該教諭に無断で持ち去ることは原則として違法な行為といわなければならない。しかし、右展示物が社会通念に照らして教育の場としての教室に展示するのにふさわしくないと考えられる物であるなど特別な事情があるときは、校務全般について責任を負い、教諭を指導監督する立場にある校長自らの判断で右展示物をとりはずしても、これをもつて違法ということはできない。

これを本件についてみるに、本件落書コーナーを設置した原告の意図はその教育的効果は別として、前記認定のとおり真面目なものであつたが、本件落書コーナーに記載された内容は前記認定のとおりほとんど過激な政治的スローガン等を記載したもの、被告個人を侮辱するもの、学校生活における生徒の欲求不満を逃避的に表現したに過ぎないもの等不真面目なものであつて、社会通念に照らして教育の場としての教室に展示するのにふさわしいものといえず、また被告がこれをはぎ取つた時点においては、原告がこれを前記認定の動機目的をもつて設置したものであることを事前に知つていたと認めるに足りる証拠もなく、かえつて生徒らが勝手に模造紙を張つて落書したものと考えていたと認めるべき余地がないわけでもないから、右のような事情の下において被告が本件落書コーナーをはぎ取つた行為を違法ということはできない。

よつてこの点に関する原告の主張は理由がない。

五 〈証拠〉を総合すると次の事実が認められる。

1 被告は前同日本件落書コーナーをはぎ取つた後三年の学年主任に向つて原告を非難し、学級担任をやめさせることをほのめかす発言をしたため同日四時頃から原告を除く三年の学級担任教諭全員が集まつて学年会が開かれた結果右学年会は被告がそのような措置をとることに反対の意思を固め、被告にもその旨伝えたところ、被告はこれを了承した。

2 被告は翌二七日、原告からは何らの事情も聴取せずに、本件落書コーナーを持つて市教委へ赴き、尾崎管理主事、井手学校教育課長にこれを見せたところ、右両名は落書の内容に不穏当なものがあるから、学校の中で原告および生徒を指導するよう被告に勧告した。そして被告は同日教頭の野中藤次を通じて原告に対して当時は同年初めころから東大を初め各大学においていわゆる学園紛争の盛んに起つたときなので本件のような落書を書かせて教室に張り出しておくのは愛宕中学のために良くない旨告げて注意した。

3 被告は翌二八日(土曜日)午後本件落書をした七名の生徒のうち六名(一名は同日欠席)を校長室へ呼び出し、一人ずつ落書した文を指示させ、これを書いた動機について「本件のような落書きをきみたちだけで書けるはずがない。誰かに教えられたのではないか。」という趣旨の追及を厳しく行ない返答をしなかつた生徒に対しては同人の肩付近を棒で小突く等の有形力まで行使した。

4 被告はさらに同月三〇日(月曜日)右七名の生徒の各保護者を学校へ呼び(うち六名出席)、子弟の教育に十分注意するよう促した。

以上の事実が認められ、〈証拠判断省略〉。

六 〈証拠〉によると次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

1 その後本件落書コーナーに思想的に不穏当なことが書いてあつては原告の教育方針の影響ではないかと生徒らの父兄が心配している旨のうわさが愛宕中学校の校区内に広がり、右は佐世保市議会議員原田昭、同浜田昇の知るところとなり、右原田市議は事実確認のため、被告に対し本件落書コーナーを見せてもらいたい旨依頼し、同年七月上旬、愛宕中学校の校長室においてこれを被告から見せてもらつた。なお被告も右のうわさは当時察知していた。

2 右原田市議は同年九月一九日から始まつた定例佐世保市議会の二日目にあたる同月二〇日市教育長に対し「愛宕中学のある教室に愛宕中学共闘会議名議の掲示が張り出され、日米安保をとりやめろ、佐藤を消せ等政治的に一方に偏した内容の文言が記載された事件が発生したが、これは担任教師の示唆によつて書かれたものと思われる。このような人物は教師として適格であるか。」という趣旨の質門をしたところ辻光徳教育長はこれに対し「政治的発言、上司に対する誹謗等不穏当な落書を生徒らがしたのはその先生の示唆によるものらしいので校長を通じて本人にも厳重な注意を与えており現在は右落書コーナーは設置されていない。今後再び右のような行為をくり返すなら断固たる措置をとるつもりである。」という趣旨の答弁をした。また同日浜田市議も同趣旨の質問をし同趣旨の答弁がなされた。

七 〈証拠〉によると、次の事実が認められる。

1 本件落書コーナー事件が市議会で問題となつたことから、同月二三日付の長崎新聞には「教室内に政治的落書き。」「担任教師が指導?。」「注意した校長も暴力か。」という四段抜きの見出しの下に五段にわたつて、右両市議が本件落書コーナーに関し、原告が生徒に対し、政治的偏向教育をしているとして市教委を追及した旨の記事が掲載され、さらに同日付の朝日新聞にも二段にわたつて右と同趣旨の報道がなされた。また同月二五日付の毎日新聞は本件落書コーナーに関し三段にわたり原被告双方の主張を報じたが、これによれば原告は前記二1において認定した事実と同趣旨のことを述べており、一方被告は「本件のような落書コーナーの教育的価値は対象者が精薄児か小学校低学年の場合だけ認められ、中学生には全く価値がない。中学生に落書を書かせると無責任なものを書くばかりで有害だ。」という趣旨のことを述べた旨それぞれ記載報道されている。

2 同月二六日、佐世保市議会文教民生委員会は本件落書コーナー事件に関し特別に研究会を設け、原被告双方を参考人として招いて事情を聴取したが、ここにおいても原告は一部議員から政治的に偏向教育をしているのではないかと追及された。しかし、両者の主張がくい違うため、同研究会としてはそれ以上の追及は無理であるという結論に達し終了した。

3 西日本新聞は、同月二七日右市議会の特別研究会に関し、「造反落書事件で論争。」「研究会に“証人喚問”。」などの五段抜きの見出しの下に九段にわたり報道したが、その内容は反市教組議員が“造反教育”を追及し、一方原告を擁護する議員は原告の名誉侵害と反論し、逆に被告が生徒を棒で小突いた事実を追及したため、事実を明らかにするため、当事者から事情を聴取したものであるというものであつた。

八 被告本人の尋問の結果によると、被告はこれより先同月二〇日ころ、原田市議らが本件落書コーナーに関し市議会で区教委に対し質問する旨の情報を得た市教委から報告を求められ文書で報告したのが市教委から書き直しを指示され、改めて同月二六日で報告書(乙一号証)を提出したが被告は右報告書提出に至るまで本件落書コーナー設置の本人である原告に対し、その動機目的等について弁明の機会を全く与えず、他方原告も被告に対し本件について一切の弁明を試みようとせず、本件落書コーナーを返還するよう求めることもなかつたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

九 以上認定の事実に基づき考えると、原告は当初担任学級の生徒を発表力のある生徒にし、学級活動をより活発なものとするための一方法として本件落書コーナーを設置したにすぎず、右は教育的目的をもつてなされたものであるが、右原告の意図は被告によつてはばまれた結果となり、右落書コーナー設置の教育的意図、目的、原告の指導内容について弁明の機会を一切与えられず、また事実関係につきなんら聞かれることなく、原田市議らには原告が生徒に対しあたかも過激な政治教育をしているかのように扱われ、佐世保市議会に参考人として呼び出しをうけたうえに、右の過激な政治教育をしているのではないかと追及され、さらに前記認定のとおり一般世人に原告が右のような教育をしているのではないかと疑われるに足りる新聞記事まで出されたのであるからこれにより原告が教師としての名誉を侵害されたことは明らかである。

一〇 ところで、本件落書コーナー事件の発生した当時愛宕中学校に過激な政治活動をするグループの存在したことを認めるに足りる何らの証拠もないし、甲七号証(本件落書コーナー)を全体として観察した印象を総合すると、本件落書は、生徒らが深い考えもなく、当時の新聞、テレビ等の報道から見聞きした言葉を並び書き、また単なるいたずらとして面白半分に校長、教諭等に対する不満等を書いたものと考えられる。しかるに、被告は本件落書の記載内容を表現どおりに生真面目に受けとり、しかもかなり感情的な態度で事を処理しようとしていた事実を推認できる。

一一 そして又、被告が本件落書コーナーをはぎ取つた直後原告を学級担任からやめさせる旨ほのめかしたこと、その翌日これを持つて市教委へ報告に行つたこと、被告が本件落書をした生徒らに対し、「誰に教えられて書いたのか。」という趣旨の追及をかなり厳しく行つていること、原告本人尋問の結果により認められるように原告は当時長崎県教職員組合佐世保総支部の執行委員をしていたこと、以上の事実を総合すると、被告としては、生徒らが本件落書をしたのは原告の責任であり、同人が生徒らに対し、本件のような政治的に過激もしくは破壊的落書を書くように何らかの方法で示唆したものと考えていた事実を推認することができる。原告は生徒らに対し、単なる漫画ではなくもつと意味のあるものを書くように指示したに過ぎないのであるから、右は被告の誤解というべきである。

被告が原告から一切事情を聴取しなかつたのも、右誤解の程度が強かつたことを裏付けるものと考えられる。

一二 そして被告は、本件落書コーナーの問題について市教委へ報告(本件落書コーナーをはぎ取つた日の翌日および市議会開会前後ころの報告)した際、本件落書をした生徒の保護者らを学校に呼び出して注意を促した際、および原田市議に本件落書コーナーを見せた際、いずれも右誤解に基づいて原告の責任に触れたものと考えられ、愛宕中学校の校区内に、原告がいわゆる政治的偏向教育をしている旨の風評が広まつたこと、原田、浜田市議ならびに市教育長らがいずれも被告と同様の誤解をしていたこと、以上の事実はいずれも被告の右誤解に基づく言動、報告がその原因となつているものと推認することができる。

即ち前記九において判断したように原告の名誉が侵害されるに至つたのは、結局被告が本件落書コーナーを設置した本人である原告から何らの事情を聴取することなく前記自己の誤解に基づいて、市教委、生徒らの父兄、原田市議らに対処した一連の行為によるものと認められる。特に原田市議は前記認定のとおり愛宕中学校の校区内に広まつた本件落書コーナーに関する誤まつたうわさを聞き及び、これを確認するために本件落書コーナーを見ようとしたのであり、右の確認を得たならば同人がいずれ本件落書コーナーの問題を市議会に持ち込み原告の責任を追及するであろうということを、被告としては当然予想し、もしこれを見せるとすれば、原告から事情を聞き、原告が本件落書コーナーを設けた動機、目的についても併せて説明すべきであつたのにこれを怠つたことが原告の名誉が侵害されたことの有力な原因の一つというべきである。

つまり、右一連の行為につき被告は過失責任を負うべきである。

一三 なお、原告が主張するように、被告が原告に対する偏見に基づいて原告の教師としての不適格性が社会的に追及されることを意図し、真実に反すると知りながら、本件落書コーナーの過激な政治的スローガン等の落書は原告の示唆に基づいて書かれたものであるとの虚偽の事実を市教委および原田市議らに報告したと認めるに足りる証拠はない。

そうすると、被告は原告に対し、右過失によつて原告の名誉を侵害し、同人に対し精神的苦痛を与えたことについてこれを慰藉する義務があるものというべきである。

一四 前記認定の事実および〈証拠〉によれば、原告は、被告が本件落書コーナーをはぎ取つた直後これを知つたにもかかわらずそのまま組合の仕事のため外出し、本件が新聞報道されるに至るまで、被告に対し落書コーナー設置の意図、目的および記載内容に原告の指示、指導は及んでいなかつたこと等の弁明をせず、また自己の責任で設置した本件落書コーナーの返還を求めることもなく放置し、原告は被告が本件落書コーナーをはぎ取つた翌日これを市教委へ持参するのを察知するや、県教組佐世保総支部執行委員長豊村幸治に対し即時電話連絡し、右豊村は直ちに市教委に対し右の件をどのように取扱うかを尋ねた事実、および本件落書コーナーに関し、原田市議らが市教育長に対し質問し、これを新聞に報道された直後、県教組佐世保総支部役員が被告に対し交渉を申し込んだ事実が認められ、右認定に反する証拠はなく以上の事実を総合すると、原告自身、被告のとつた各措置に対し抗議することはおろか、同人に対し自己の弁明をして同人の誤解を解こうとする努力をしなかつた事実を窺うことができ、本件は原告の事後の適切な行動いかんによつては原告と被告間の話し合いのみで解決されうる可能性がないわけではなかつたのに、原告は右可能性を追及することを自ら放棄し、組合の力に頼ろうとしたものと評価することができる。

そうすると、本件落書コーナーの問題が学校外へ持ち出され、遂に原告の名誉が侵害されるに至つたことについて、原告にも一半の過失があつたものと認めるべく、右は被告が原告に対して支払うべき慰藉料額の算定につき考慮されるべきである。

(大久保敏雄 管原敏彦 前原捷一郎)

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